【インタビュー】アートとは何か | 美術評論家・倉林靖

「現代アート」とは、なんだろう。

100年まえに、マルセル・デュシャンという芸術家が話題になったという。男性便器に「R.MATT」とサインをしたものが、公募展に応募されたからだった。その作品は「泉」と名付けられ、アートの世界に波紋を広げた。

多くのひとは思うだろう。「どうして便器にサインが書いてあるものが、”アート”なのか」。この作品は、アート作品の観方、考え方を変えたきっかけになったと言われている。100年経ったいまも、その歴史は記憶されているのだ。

一見しても理解できない考え方が、アートの世界には当たり前に存在する。僕たちが抱える疑問は、簡単に拭うことはできない。今回は、美術評論家の倉林靖さんに、「アートとは何か」についてお話を伺った。

現代アートの壁は、文化の違いにある

―「美術評論家」として活動している倉林さんですが、現代アートにかかわる仕事をしていくなかで、何を目標に活動してこられたかをお聞かせください。

倉林:はい。モチベーションの核になっているのは、「自分が知りたいから」ですね。ただ、「仕事」という側面でいうと、自分の知りたいことを知るというより、現代アートの面白さをひとに伝える、共有するという役割が大きいです。それが目標となっています。

―たとえばアーティストが、何かのメッセージをこめて創作物をつくったとき、それって一般のかたがたからすると、自分で知りたいと思わない限り、理解しようとしないもの、だったりするじゃないですか。

倉林:たしかにそうですね。


―西洋人は「ローコンテクスト」の趣向があるという話を聞いたことがあるんですが、日本人は逆に、感情や周囲の状況を細かく伝えて、より共感しやすいものを好む傾向にあると思うんです。だから、議論を好む。インターネットの普及がそうさせたのもあるかもしれませんが、「アート」って、どうしても伝わりづらさがあるじゃないですか。日本に住む一般のかたがたの”理解”に対して、現代アートはどのように向き合っているのでしょうか。

倉林:おっしゃるとおり、微妙な問題ではあるのだけど。ただ言えることは「わかりやすすぎても面白くない」ということ。石川さん(筆者)の今の質問も「ハイコンテクスト」の趣向が垣間みえましたね(笑)。

わかりにくいものだけど、「アート」には探っていくことで理解を深める面白さもあるんです。全員が一目みて理解できるようなわかりやすいものをつくってしまうと、どうしても底が浅いものになる。すべてがそうとは言わないけど、奥が深いものにはなりづらい。

アートの世界が間口を狭くしている、というのは確かにあります。だけどそれでも、理解したいと思ってくれる、そういう感性をもったひとに、僕はアートの魅力を伝えたい。特に、日本のアートギャラリーは、看板もださずにわかりにくい場所で開催して、宣伝もしません。「もっと大衆に対して広めていけばいいのに」と考えるひともいるのだけど、誰でも受け入れる、という風に構えてもいないのです。

基本は「知りたい」と思うひとを受け入れるようなスタイルをとっています。だから現代アートは、来るものは拒まないけど、関心のないものの肩を無理やり引っ張って連れてくるようなことはしません。評論家としては、もっと一般のかたがたに面白さを伝えたいと思いますが。

―アートに対して、「これはどういう意味を持っているのか」と考えるプロセスがあるじゃないですか。現代アートはそのプロセスが、大事にされている、ということでしょうか。

倉林:そうです。アートをみたとき、大抵のひとはまず「わからない」という感想がでてきますよね。でもアートの入り方としては、「わかる」「わからない」という感想の抱きかたではなくて、どちらかといえばもっと抽象的に「かっこいい」とか「おもしろい」とか、そんな感じでいいんです。面白いな、なんだろうと、思ったあとは、自分で探ってみる。探求する。

理解できる、できない、という捉え方をするのではなくて、感性にゆだねてしまう。それでいいんです。

アートのなかには、グロテスクでちょっと引くような表現もあります。ですが、ひとによって興味を抱くこともあるんですよね。自分の感性には合わないけど、なんとなく気になるものだってある。わからないから思考を停止するのではなく、わからないからこそ面白くて、その先にある「理解」と「納得」を楽しんでもらいたい。

―ありがとうございます。倉林さん自身が、最近面白いと思ったアートはありますか?

倉林:先日、恵比寿のギャラリーにいってきて、「いしはらともあき」というアーティストの作品を見ました。そのひとは自分本人の髪の毛をスキャンしたものを、鉱物をひいた紙の上に載せる、ということをしていました。

参考:石原友明展「拡張子と鉱物と私。」(※現在は終了しております。)

髪の毛自体が抽象絵画になっている作品。自分で描いている絵画でもないし、写真で表現したものでもない。非常に印象的でしたね。髪の毛には自分のDNAがあって、だから髪は自分のアイデンティティそのものだという説明があって、なるほどと思いました。

 

知らない世界に飛びこめる喜びというのは、いくつになっても変わらない。

―倉林さんのツアーに参加したかたの反応は、どんなものだったんですか?

倉林:作品の意図を理解して、面白がってくれました。僕もそうなんですけど、写真で作品を見ているだけじゃ伝わらないものがあるんです。その場所に行って”実物”を見ないと、わからないことがある。彫刻の配置や、自分の立ち位置、空間とセットで楽しむアートは、特にそうですね。

ツアーをやっていてよかったと思うのは、ひとに紹介するために、自分も十分に勉強する必要があったこと。面白さを伝えるために、事前に入念に準備して、わかりやすく説明できるように勉強ができたことですね。自分自身、それでギャラリーや展示アートについての理解も深まったりして、すごく刺激になっています。

はじめはひとがくるのか不安だったんですけど、意外と好評をいただきました。やっぱり自分の知っていることや魅力を説明して、そのひとが喜んでくれる瞬間はうれしいですね。

―参加者のかたも、わからないことがわかる喜びを感じてくれていると思いますか? アートを理解して、それが楽しさにつながっている、みたいな。

倉林:そうですね。ギャラリーってやっぱり敷居が高くて、一般のかたはひとりだと入りにくいと思うんです。街歩きのツアーとして行くと、ひとりではないので入りやすい。知らない世界に飛びこめる喜びを感じてくれていると思っています。ツアーで説明し、理解してもらうことでアートに興味をもってくださる方が増えるのは、とてもやりがいを感じますよね。

大学の通信教育で教えることもあるのですが、TABICAのようなツアーで実際に場所にいったほうが面白いです。コミュニティのなかで、知識や理解を共有できるというのが新鮮です。こういう形の伝え方もあるのだな、と。

―ツアー中、たとえば参加者とのコミュニケーションで、自分があらたに気づけることもあるんですか?

倉林:ありましたよ。この前きてくれた年配の女性は、海外での居住期間が長いかただったんですけど、ロンドンに住んでいたそうで。ロンドンでは、こういったツアーがたくさんあるという話を聞きました。独自のコミュニティをつくって、専門知識を持ったひとがツアーを行うというものは、日本ではまだ少ないのかもしれませんね。

―ということは、やっぱり海外(ロンドン)などに比べると、日本には「アート」が浸透していないのですね。身近な存在になっていない、といいますか。

倉林:どうでしょう。日本でも、アートを知りたいという想いを抱えているかたはたくさんいると思います。ただ、機会が少ないというだけで。たとえば大きな美術館で美術展が行われた際、来場者数を比較すると世界でも日本は上位にいます。去年おこなわれた「若冲展」なんて、若者にも人気がすごくあって、ずらっと行列ができていましたし。

大規模な展示だと、大人数が集まる場所や機会ですし、興味をもつひとがどんどんくるんですけどね。やっぱりギャラリーになると、敷居の高さを感じるんでしょう。現代アート自体に敷居の高さがあるというのもありますけど。だからギャラリーに”みんなでいけるツアー”があると、一般のかたもまざりやすいんだと思います。

―現代アートに関して、日本で敷居が高くなっている原因はなんでしょう。

倉林:ひとつはさっきも話したように、誰もが簡単に理解できて、受け入れられるようなものではないから。

もうひとつは、海外のように理解する土壌ができていないからでしょうね。海外(特にヨーロッパ)なんかはアートの基本的な考えかたも広まっていて、わからないことがあれば議論しあい、理解を深めていくという文化があります。日本にはまだ、それがない。

ヨーロッパでは、夫婦同士で常に美術について議論している、なんて光景もあるみたいで。ほかにも、海外の美術館に行くと小学生の団体をよく見ることがあったり。小さい頃から美術に触れる教育をしているんですよね。小学生の団体のために鑑賞授業を行って、その間は一般人は入れない、みたいなこともあるんです。そういう文化はまだ、日本人からしてみたらめずらしい光景ですよね。

―倉林さんが教える講義でも、受講生とアートに関する議論を行うことはないのでしょうか。

倉林:議論することはないです。いまの大学生って、みんな大人しくて(笑)。熱心なひとは質問をしてくれますが、全体のトーンはやっぱり、ヨーロッパの文化とは違います。

―もったいないですよね。表に出せていないだけで、探究心はみんなあるはずなのに…。そういう意味でいえば、やっぱり倉林さんのツアーはいい意味で「探求」や「理解」を促していますよね。潜在的にアートに興味があるというひとが集まって、興味心を満たしていく。とてもよい取り組みじゃないですか。

倉林:はは。まず見に行くということが大事なんですよね。実際にギャラリーにいって、場所にいって作品を鑑賞して、感覚を共有するのを目的にしているので、参加者にはいつ「まずは自由に見てください」とお伝えしています。

―知れば面白い。だけど、「現代アート」に対するネガティブなイメージが先行してしまう。あらためて「日本の現代アート」が抱える問題について、倉林さん独自の視点からの意見を聞かせてください。

倉林:現代アートだけではなく、文化全般に関して言えることですが、現代社会はいま、「ひと目でわかりやすいもの」を求める傾向になっていますよね。わかりやすくないと、その場で関心を失う感覚をもつようになっています。

インターネットが普及して、情報があふれた世の中になったからだと思うんですけど、わかりやすいものが増えてしまうと、そこにいる人間の考え方やものの見方が、どんどん浅くなります。反知性的社会になっていくというか。そうなっていくことに、僕はすごく危機感を感じてしまいます。アートに限らず、世の中には自分から踏み込んで、考えて、知らなくちゃいけないことがたくさんあるのに、それができなくなるのはとても悲しいことだと思います。

そんな社会にならないためにも、「現代アート」は存在しているんじゃないでしょうか。

「現代アート」は言語で表すのではなく、共感を求めるだけでいい

―倉林さんの「震災とアート」という著書を拝読しました。「被災地から離れた場所に住んでいると、実際にどういう被害があって、どれだけのひとが被災したのかは、テレビや新聞のメディアを介さないと分からない」ということ。しかし、アートを介せば、メディアだと規制されてしまうような細かな事実まで描ける。よりリアルな現実を、アートを用いて発信できる。これは、アーティストならではの表現なのではないかと感じました。

倉林:やっぱりメディアという限られた形だけだと、限られた情報しか知ることができないんです。生々しさを伝えるという意味でもアートはあって、たとえば「震災とアート」では、浮世絵で震災の津波を書いたアーティストを紹介するかたちで書きました。テレビや新聞から発信される情報だけでは伝わらないことも知ることができるんですね。アートの視点から震災を見ると、また別の感想が湧いてくる。視点のひとつとして、アートにも「事実を伝える」という役割があったのだと思っています。

震災が発生したことで行動を起こしたアーティストさんがすごくたくさんいました。そのなかには、ひとりで行動するよりも、小さなコミュニティ同士で立ち上がるかたがたもいらっしゃいました。、社会における”自分にありかた”について考えたアーティストさんも、たくさんいたんです。

―ネットやテレビのメディア情報だけでなく、アートの視点から情報を伝える文化が根づけば、世論の動きがもっと変わることがあるかもしれませんね。

倉林:個人的には震災後、原発の見方が変わると思ったけど、想像していたよりは動かなかったので、疑問に思うところはありました。メディアの限られた情報しかない受け取れないのが、現実的な問題だったのでしょうけれど。

―震災というものを抽象的に表現しているものとして、最近だと映画「シン・ゴジラ」が想起されますよね。ニュースやネットの情報以外の視点で震災を伝えているという意味では、アートのひとつなのかなと思います。

倉林:ぼくは観てないので分からないのですが(笑)、そもそも1954年に公開された最初のゴジラは、水爆を象徴するためにつくられたものですよね。2016年のゴジラでは、今度は原発や震災に置き換えられている。自然災害やテロなどに見ることができる怪物性は、現代アートでもよく表現されているもののひとつではあります。

―倉林さんからお話を聞くまで、「アーティスト」はうちにこもって、自分たちだけが理解できていればいいスタイルなのかと思っていました。そうではなくて、ひとに何かを伝えるための手段として、発信してくれている。でも、僕たちがその情報をキャッチできないだけだった…ということですね。

倉林:極論ですね(笑)。興味関心をもってくださる方には積極的に伝えていこうという姿勢が、現代アートです。日本のなかにはアートに関心を持っているというひとが、まだまだ隠れて、埋もれている状態なのではないでしょうか。そういうひとたちと、今後は繋がれていけたらと思っています。

現代アートはとても深く、面白い世界ですよ。

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